張ダビデ牧師 – 終末の希望


Ⅰ. 終末論的視点から見る「時と時期」の意味

テサロニケ第一の手紙5章1節から2節にかけて記されている「兄弟たちよ。その時と時期については、あなたがたには書き送る必要がありません。主の日は夜中の盗人のように来ることは、あなたがた自身がよく知っているからです」(Ⅰテサロニケ5:1-2)は、初代教会の信仰の一つの柱をよく示しています。初代教会は、総じて昇天されたイエス・キリストがすぐに再臨されるという思い、すなわち切迫した終末論的期待を抱いて生きていました。イエス様が復活され、天に昇られてすぐ、弟子たちは「主はいつ来られるのか?」という問いに大きな関心を持っていました。その中でもテサロニケ教会は、この終末論的な問いを非常に熱心に黙想し、議論していた共同体でした。特にパウロが約3週間(使徒17章)テサロニケに滞在し、会堂で教えたとき、テサロニケの信徒たちは救い論や終末論に関して深い問答を絶えず交わしていました。だからこそパウロは、「兄弟たちよ。その時と時期については、あなたがたには書き送る必要がありません」(Ⅰテサロニケ5:1)と語り、すでに彼らが「時」(クロノス)と「時期」(カイロス)に対してかなり深い理解をもっていたことを確認できるのです。

では、「時」(クロノス)と「時期」(カイロス)の違いとは何でしょうか。ギリシャ語のクロノス(Chronos)は量的な時間を意味します。時間の分量、流れ、順序などを指し、年代記(Chronology)やクロノメーター(Chronometer)という語からも推測できるように、「正確に測定し区切られる時間」という概念です。一方、カイロス(Kairos)は質的な変化を含んだ「特別な瞬間」、すなわち時点を意味します。たとえば、ある人が結婚式の日を迎えるなら、その一日は単に量的に流れていく日々の一つではなく、以前と以後の人生が質的に変化する「特別な日」となります。これがカイロスの概念です。テサロニケの信徒たちは歴史が流れるクロノスの中に、主が再臨される特別なカイロスの日、すなわち「主の日」が切迫しているという事実を深く認識していたのです。

聖書が語る「主の日」は、旧約においては「ヤハウェの日」または「主の御名の日」と呼ばれ、新約では「イエス・キリストの日」、あるいは「主の再臨の日」へと繋がります。イエス・キリストはすでにこの地上で救いのわざを完成され、復活・昇天によって救いの歴史の道を開かれました。しかし同時に、「このイエスは、あなたがたが天に上げられるのを見たとおりにまたおいでになる」(使徒1:11)と言われたゆえ、教会は「その日」に向かって、すなわち終末の完成の日を望みながら生きるのです。聖書はこのように、循環論的な歴史観を提示しません。東洋思想がしばしば語るように、歴史が春夏秋冬のように繰り返される無意味な循環ではなく、むしろ聖書は歴史に唯一の始まりがあり(創造)、終わりがあり(終末)、そしてその終わりには最後の審判と新しい天と新しい地が到来するという直線的歴史観を宣言しています。

テサロニケ教会が終末論的信仰を持っていたということは、この教会が常に「主はすぐに来られる」という緊張感と聖なる希望のうちに生きていたことを意味します。彼らは迫害や患難が多く、また偽りの教えが横行する状況の中でも、「間もなく来られるイエス・キリストが私たちのすべての悔しさや苦しみを清算してくださる」という信仰を堅く握りました。マタイによる福音書10章23節でイエス様が「この町で迫害されたら、次の町へ逃げなさい。…イスラエルの町々を全部回り終わらないうちに、人の子が来る」と言われたように、彼らにとって主の再臨はいつどのように実現してもおかしくないほど切迫した現実でした。さらに使徒1章で天使が語った「なぜ天を見上げているのか。このイエスはそのまま来られるのだ」という宣言も、初代教会が日々を生きる原動力となったことは明らかです。

こうした文脈の中で、パウロはテサロニケ第一・第二の手紙を通して、終末論的な問いに対する具体的な答えを与えます。テサロニケ第一4章では、死んだ者たちはどうなるのか(死者の復活と携挙の問題)という問いに答え、5章では「主の日は夜中の盗人のように来ることは、あなたがた自身がよく知っている」(Ⅰテサロニケ5:2)として、時期を限定しようと執着しすぎないよう勧めます。パウロは「時と時期」を具体的に知らせることはしませんが、だからといって「何の徴候もなくただ漠然と待て」と言っているのではありません。むしろ「盗人のように来る」というイエス様の教え(マタイ24章、ルカ17章、マルコ13章などの小黙示録)を再度強調し、それをすでにテサロニケの信徒がよく知っていると確認します。また「いちじくの木のたとえ」を通して時代を見分ける知恵の必要性を説きつつも、御子さえその日を知らないとされたゆえ、日付や年を特定しようとする試みが無益であることを教えています。

このように終末論は、キリスト教教理の非常に重要な三本柱の一つです。キリスト論と救い論が具体的に私たちの信仰と生活を変えていく過程に必須であるならば、終末論は私たちの現在と未来を結びつける「時間観」と「歴史意識」の核心です。ですから初代教会から、教会が歴史の終わりをどう理解すべきかについて、多くの議論が重ねられてきました。前千年王国説、後千年王国説、無千年王国説といった学説も、そうした切望の産物です。ディスペンセーション主義の前千年王国説では携挙や大患難、千年王国などの青写真を細かく区分し、後千年王国説では教会が福音を伝えることで地上におけるキリストの支配が徐々に拡大し、やがてその再臨を迎えると見なします。無千年王国説は千年王国を象徴的・比喩的に理解し、今の教会時代こそキリストが支配されている「霊的な王国」であるという観点で終末を捉えます。こうした学説間で神学的論争は存在しても、「終末が確かに存在する」という一点は共通しています。教会はその日を待ち、備えつつ、神の民として現在を生きなければならないという大前提を否定しません。

テサロニケ教会も同様の問題意識を抱え、パウロに積極的に尋ねました。テモテがテサロニケ教会を訪れたとき、信徒たちは再臨の時期に関する問いを繰り返し投げかけ、その答えをパウロが手紙として送ったのがテサロニケ第一・第二の手紙です。教会史は、信仰上の疑問があるなら遠慮せず質問することがどれほど重要かを証言しています。コリント教会も同じでした。エペソにいたパウロに対して、信仰上の大小様々な問題(不品行の問題、偶像へのいけにえの問題、賜物の問題、復活の問題など)を克明に尋ね、それに対する答えをパウロが送ったのがコリント第一の手紙です。これは今日の教会にとって大きな益となっています。もしコリントの信徒たちがパウロに疑問を投げなかったとしたら、私たちはコリント第一の手紙のように豊かな文書を得られなかったかもしれません。それほど、教会の中で「質問と答え」の交流は信仰の体系を築いていく核心的なプロセスなのです。

テサロニケの信徒たちが終末論について無秩序に信じたり極端主義的な態度を取っていなかったことは、パウロが「兄弟たちよ。その時と時期については、あなたがたには書き送る必要がありません」(Ⅰテサロニケ5:1)と言えるほど、すでに十分な学習と議論がなされていた事実から伺えます。もちろん「主の日が間近に来るのだから、日常の労働をやめよう」という極端な信仰を持った者も皆無ではなかったようですが、全体としてテサロニケ教会は自発的に熱心に働き(Ⅱテサロニケ3章)、同時に主の御来臨を慕い求め、目を覚まして祈るというバランスのとれた姿を持っていました。パウロはこの教会のバランス感覚を高く評価し、さらに彼らに対して目を覚まして身を慎むようにと繰り返し勧めます。

ここで一歩踏み込み、テサロニケ第一5章2-3節にある「主の日が夜中の盗人のように来ることを、あなたがた自身がよく知っています…その時には、妊婦に産みの苦しみが臨むように、滅びが突如として彼らにやって来るのです。決してそれをのがれることはできません」という御言葉を見てみましょう。「盗人のようだ」という比喩は、旧約・新約を通して災害や神の裁き、あるいは主の再臨が予告なしにやって来ることを意味するときに使われます。これはある面では備えのない者たちに降りかかる突然で悲惨な現実を描写しています。しかし他の面では、「ただ父だけがその日を知っている」(マタイ24:36)というイエス様の教えにも合致します。つまり、人はどんな計算法でも再臨の時期を特定できないということです。

この点で張ダビデ牧師は、さまざまな説教や著書を通じて、「終末論の核心は日付を算出することではなく、いかに現在を神の御心にかなうよう生きるかを悟ることだ」と強調してきました。私たちは、その日とその時を完全に神の御手にゆだねつつ、主の再臨がもたらす完全な救いと裁きを待ち望みながらも、同時に今日を「善い忠実なしもべ」として生きるべきです。実際、「天国の福音があらゆる民族に宣べ伝えられるとき、終わりが来る」(マタイ24:14)という御言葉のように、教会が終末を論じるとき、必ず覚えておかねばならない事実は「すべての民族、すべての国民に福音を伝える宣教の使命」です。終末は教会が恐れに屈服して世間から逃避するために宣言されたのではありません。むしろ終末の約束は、「目を覚まして備えなさい。信仰と愛をもって生き、全地に福音を伝えなさい」というイエス様の命令を後押しします。

こうした観点から見ると、テサロニケ教会が称賛されたもう一つの理由は、彼らが単に「再臨の日付当て」に没頭するのではなく、主を慕う熱い思いと同時に健全な信仰共同体性を育んでいたからです。「兄弟たちよ、あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません」(Ⅰテサロニケ5:4)と言われたとき、パウロは「テサロニケの信徒たちはすでに光の子、昼の子であるゆえ、主の再臨は彼らにとって盗人のように突然ではない」と語ります。夜に眠る者たちとは違い、彼らは目を覚ましているため、主がいつ来られても喜びをもって迎える準備ができているという意味です。張ダビデ牧師もまた、教会が終末の時を語るときに忘れてはならない最も大切な態度は「いつも目を覚まし身を慎むこと」だと言い、その「身を慎む」と「目を覚ます」ということは単なる恐怖ではなく、「福音に基づいた積極的な備え」であると説明します。

では終末論が個人の生活にどのように適用されるべきでしょうか。私たちは誰しもいつか肉体の死を迎えます。これは個人的な終末です。同時に歴史全体が終わる時点もやって来ます。これは宇宙的な終末であり、主の再臨の時です。パウロは私たちの「個人的終末」はもちろん、「宇宙的終末」に対しても教会が揺らぐことなく備えているように求めます。それではその備えはどのように実践されるのでしょうか。それは御言葉に対するたゆまない黙想と、信仰と愛の実践によって成し遂げられます。「私たちは昼に属する者ですから、身を慎み、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みのかぶとをかぶりましょう」(Ⅰテサロニケ5:8)という節が、それをよく示しています。霊的な戦いの中で、キリストの兵士たちは胸部を守る胸当て(ホシンケイ)と頭を守るかぶとで武装します。その胸当ては「信仰と愛」、かぶとは「救いの望み」です。つまり、主の再臨を頭で知るだけでなく、信仰と愛という胸当てによって自分の魂と生活を守り、「救いの望み」というかぶとによって、どんな混沌とした思想や誘惑にも揺るがされないようにするということです。

一方、パウロはここで「あなたがたはみな光の子、昼の子です」(Ⅰテサロニケ5:5)とも言います。光とはすなわち真理を意味します。つまり彼らは神の御言葉のうちにとどまり、その御言葉を通して歴史を眺め、終末論的な希望を抱いて現在を生きる者たちなのです。彼らは「主の日」が盗人のように来たとしても、決して闇に包み込まれません。なぜなら、すでにその光の中で目を覚ましており、いつ主が来られても「ともし火を整えて待っている十人の乙女」(マタイ25章)の姿勢を備えているからです。こうしてテサロニケ教会は新約時代において模範的な「終末論共同体」として称賛を受けるのです。

テサロニケ教会が「時と時期については、もう書き送る必要がない」と評価されたのは、彼らが「歴史の終わり」に対する明確な確信と理解をすでに持っていたからにほかなりません。漠然と終末を恐れたり、あるいは誤った計算で人々を惑わすのではなく、健全な終末論と歴史意識、そして何よりも主の来臨を待ち望む希望と愛の実践を同時に追求していたのです。張ダビデ牧師もこの点を繰り返し強調しています。終末論は恐怖心をあおったり、日付を占って人々を惑わす手段ではなく、「私たちは毎日をどう生きるべきか」「教会はこの地上でどんな役割を果たすべきか」を悟らせてくれる、大切な信仰の根本なのです。


Ⅱ. 目をまして身をむ生活の必要性と教会の使命

さて、テサロニケ第一5章4節以下の「兄弟たちよ。あなたがたは暗闇の中にいないのですから…私たちは昼に属する者ですから、身を慎み、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みのかぶとをかぶりましょう」(Ⅰテサロニケ5:4-8)という御言葉を土台に、初代教会の終末論的信仰が実際にはどのような実践的生活と教会の使命に結びついているのかを見ていきましょう。パウロははっきりと言います。「兄弟たちよ。あなたがたは暗闇の中にいないのですから、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません」(5:4)。これは、準備し目を覚ましている人にとって、主の日は突然の恐怖ではないという意味です。ある人は「盗人のように来る」という表現を聞いて「誰もその時を知らない」という点にだけ注目するかもしれません。しかしパウロはまったく違う次元で語っています。「あなたがたが光の子であるならば、盗人のようには来られない。なぜなら、すでに光の中で備えているからだ」と。

これはイエス様がたとえで語られた「十人の乙女」の話(マタイ25:1-13)とも通じます。五人の乙女は油を用意し、残りの五人は準備をしませんでした。いざ花婿が到着したとき、準備していた乙女たちは花婿を迎えますが、準備していなかった者たちは扉が閉まった後に来ました。彼女たちにとって主の再臨は「盗人のように」感じられ、門の外で悲しみを味わったのです。しかし備えていた者たちには少しも盗人のように感じられませんでした。むしろ待ち望んでいた「約束の実現」でした。テサロニケ教会はこのような備えのある五人の乙女のような存在でした。いつ来られるかわからない時をめぐって不安や強迫観念に陥るのではなく、「主は必ず来られる」という信仰に励まされ、信仰・愛・希望の武装(胸当てとかぶと)を整えていました。

では「目を覚まし身を慎む」とは具体的にどういう意味でしょうか。第一に、「目を覚ます」とは霊的に油断しないことです。油断するとは、「主を忘れ、日常の誘惑や罪に陥る状態」を指します。終末論的感覚を失うと、この世の価値観や物質主義に簡単に埋没してしまいます。しかし再臨を確信する者は、日常の労働や奉仕の中でも「私は主のしもべだ。いつか主の御前で決算する日が来る」という意識を失いません。イエス様がタラントのたとえ(マタイ25:14-30)で教えてくださったように、主人は必ず帰ってきてしもべたちと決算します。これは終末論のもう一つの核心的教えです。終末論は「後になれば新天新地で快適に過ごせればいい」という漠然とした期待だけを語るのではありません。むしろ「今、この瞬間を責任をもって生きなさい」という現在的な挑戦を突きつけます。テサロニケ教会の信徒たちも、再臨の日を慕い求めながら、自分たちの生業をきちんと果たし、この世の中での責任を全うしようとしました。

第二に、「身を慎む」とは自分自身を省みて抑制することです。酔う者は夜酔い(5:7)、夜に眠る者は霊的鈍感に陥ります。しかし光の子である私たちは「昼に属する者」として、この世の風潮に無防備に流されないという決断が必要です。パウロはその面で「信仰と愛の胸当て」を強調します。魂の中心部、すなわち胸を守る装備が信仰と愛だというのです。信仰とは「私たちを救うと定められた神」を信頼する姿勢であり、愛は「その信仰が具体的行動としてあらわされる実践」です。また「救いの望みのかぶと」も絶対的に重要です。もし信仰が私たちの生き方を支える根であるならば、希望は私たちが見つめる未来です。希望がない人は頭(思考)が揺さぶられます。世の困難に直面すると、頭が混乱と絶望に陥るのです。しかし「救いの望み」、すなわち主が再び来られてすべてを善に締めくくり、完成してくださるという確信があれば、いかなる状況でも心が乱されることはありません。

このように目を覚まし身を慎む人は、終末を「盗人のようにやってくる裁きの夜」としてのみ恐れません。むしろその日こそ「主に直接お会いする救いと栄光の日」であり、「私たちが切に待ち望んだ本国(天の故郷)に至る日」だということを知っているのです。だからこそパウロは「神は私たちを怒りに定められたのではなく、私たちの主イエス・キリストによって救いを得させるように定められたのです。キリストは私たちのために死なれました。それは、目を覚ましていても眠っていても、私たちがキリストと共に生きるためです」(Ⅰテサロニケ5:9-10)と宣言します。これは信者にとって終末が単に「罪の宣告」だけではなく、「完全な救いの完成」を意味することを示す核心的真理です。ゆえに健全な終末論を持つ人は、不必要な恐怖に支配されることがありません。一方で自分勝手に生きてもよいという無責任さや放縦にも陥りません。「主が再び来られる」という事実が宣言された瞬間から、私たちは今日という時の中でこそ主の御心に従い、やがて訪れる完全な救いを待ち望んで喜びのうちに備える道を選ぶようになるのです。

こうした観点において、教会は世と異なり、常に「終末論的使命」を意識すべきです。もし教会が終末論を忘れてしまうならば、現世の価値や利益追求に埋没する危険が大きくなります。教会が「やがて神の国が来て、私たちはその御国に参与する」というビジョンを失うならば、むしろ世よりも世俗的な組織へと転落しかねません。そこで張ダビデ牧師は、教会が主の来臨を切に待ち望む霊的共同体として、終末論的希望を握りしめ、地の果てにまで福音を伝える宣教の情熱を回復する必要があると教えています。教会は単に教会員数や勢力拡大にとどまるのではなく、「天国の福音がすべての民族にあかしされるために」(マタイ24:14)その使命を果たす共同体となるべきなのです。教会がこの地上で礼拝をし、御言葉を教え合い、互いに勧め合い徳を高めるのは、すべて「再び来られる主」を見つめるがゆえです。

テサロニケ第一5章11節でパウロは「ですから、あなたがたは互いに励まし合い、互いの徳を高め合いなさい。あなたがたはすでにそうしているのですが」と言います。他の手紙では教会内の分裂や争いを叱責する場面もありますが、テサロニケ教会はパウロが称賛するほど互いに励まし合い、徳を高め合う姿に優れていました。これは終末論的信仰と切り離せない態度です。なぜなら終末論は究極的に「私たちはみな神の子であり、主が来られるとき共に栄光にあずかる同労者たちである」という意識を育むからです。その日が近づけば近づくほど、教会はより聖く、より切に、より熱く共に信仰生活を営むべきです。兄弟の欠点を互いに覆い、励まし合い、互いに建て上げられるよう努力すべきなのです。

終末論は、私たちの日常生活に直接的な動機を与えます。不確実な世の中でも、「私は神の子であり、光の子である。主の再臨に備えて信仰生活を全うしなければならない」という自覚を抱かせてくれます。教会も同じです。「教会」はまさに終末論的共同体です。建物ではなく、財政を集める機関でもなく、「主が再び来られる」ことを待ち望み(マラナタ)、世に福音を伝え、愛を実践して救いの完成を迎える「光の子たち」の集まりなのです。張ダビデ牧師は、この点で教会が世に善なる影響を与え、福音を拡大していく行いこそが、終末論的信仰の直接的実践だと強調しています。「今ここ」で天国文化を実現し、世の陰の部分や疎外された人々を顧み、同時に主の来臨を切に望む――この複合的な姿勢こそが「目を覚まし身を慎む生き方」なのです。

総合してみると、パウロがテサロニケ教会に与えた称賛と勧めは、現代の私たちの教会にもそのまま適用できます。パウロは「兄弟たちよ、あなたがたはこの問題(終末論と時と時期の理解)においてすでに深く研究し議論してきたので、私からもう書き送ることはないほどだ」と言います。これは彼らがすでに神の歴史と終末についてかなりのレベルの洞察を持っていたことを認める表現です。さらに「あなたがたは光の子なのだから、その日が盗人のように来ることはあり得ない」という励ましは、私たちが主の来臨を待ち望み備えつつ、互いに励まし合い、共に立て上げられる教会として召されたというアイデンティティを再確認させるものです。この信仰が十分に根づくとき、教会は世の患難と迫害のただ中にあっても揺るがず、福音に忠実でいられるのです。

もっとも今日の教会においても、終末論は誤解を生むことが少なくありません。特定の日付を予告したり、終末への恐怖心をあおって自らの利益を追求する異端的な動きも絶えません。ゆえに私たちはテサロニケ教会が示した「バランスのとれた終末論」を学ぶべきです。そのバランスは大きく二つあります。一つは「その日とその時は誰も知ることができないのだから、無謀な算出や私的な啓示を振りかざしてはならない」ということ、もう一つは「しかし時代の徴候を見分け、御言葉と宣教、そして愛の実践を通して常に目を覚ましていなさい」ということです。この二つの教えが調和するとき、教会は現世と来世を見渡しながら健全に成長します。クリスチャンの生き方は世的現実を無視せず、同時に神の国の完成を見つめて生きる二重構造を備えるようになるのです。

張ダビデ牧師がこうしたテーマを説教するとき、最も強調する一つのポイントもまさにこれです。「『盗人のように来るその日』という表現だけを聞いて恐怖に縮こまったり、漠然とその日を計算しようとする方に極端に偏ってはならない。パウロの意図は明白だ。『あなたがたはその日がいつ来ようとも、すでに光の中にいるから恐れる必要はない。ただ目を覚まして身を慎みなさい。信仰と愛、そして救いの希望で身を固めなさい』ということだ」。この確信がしっかりと根づけば、教会は日常生活の中でより大きな喜びと命を謳歌するようになります。終末論が教会を重苦しい不安へ追いやるのではなく、むしろ活気と希望へと導くのです。

さらにテサロニケ第一5章9-10節でパウロが強調しているように、「神が私たちをお立てになったのは、御怒りに会わせるためではなく、ただイエス・キリストによって救いを得させるためなのです」。これが新約の福音です。終末は神の怒りと裁きだけを意味しません。もちろん救いと裁きはコインの裏表のように同時に訪れますが、イエス・キリストを信じる者にとっては、その裁きさえも救いの一過程であり、主と顔と顔を合わせて永遠のいのちにあずかる出発点となるのです。ですから「目を覚ましていても眠っていても、私たちがキリストと共に生きるため」(5:10)という一節が彼らの運命を確定づけるのです。パウロは、テサロニケの信徒が最も知りたがっていた終末論的問題に対し、「主の日」は恐怖の対象ではなく、むしろ聖徒が救いを完全に受け取る時だ、という明快な結論を提示しています。だからこそ教会は互いに励まし合い、徳を高め合ってその日に備えよと勧めるのです。

現代の教会においても依然として、あるいは一層、この終末論的信仰と態度が必要とされています。世はますます混乱と対立へ向かい、人々は未来を不確かだと感じて不安を訴えます。このような時代に教会が与えられるべき答えは、「もうすぐ世が滅びるから恐れ、隠れていなさい」ではありません。教会が伝えるべき知らせは、「主が再び来られ、その日に私たちの救いは完成する。だから目を覚まし身を慎んで、愛をもって世に仕えよう」ということです。それこそが「福音」です。そしてそれこそが「ともし火を用意している十人の乙女」の姿であり、「タラントを商売して増やす忠実なしもべ」の姿勢です。そうするとき、主が来られる日がいつであっても、私たちは主を喜び迎えることができます。

テサロニケ第一5章に流れる終末論的メッセージは、教会がこの地上をどう生きるべきかを一貫して教えています。主の日は夜中の盗人のように来ますが、「光の子」である私たちには決して盗人のように襲いかかることはできません。なぜなら私たちはすでにその光の中で目を覚まし身を慎んでいるからです。張ダビデ牧師はこれを何度も思い起こさせながら、「現代の教会が終末論を単なる末世の恐怖や刺激的な予言として消費してはならない。むしろ終末論は教会をいっそう健全に、さらに宣教的に、そしてより愛に満ちた共同体へと導く神の道具だ」と説きます。かつてテサロニケ教会がそうであったように、あらゆる時代の教会も「主イエスよ、来てください(マラナタ)」という叫びの中で互いに徳を高め合い、励まし合いながら、主のラッパの響きがとどろく日を喜びをもって迎える備えをなすべきなのです。

このように二つの小見出しに分けて見たテサロニケ第一5章の終末論的教訓は、私たちに次のことを強調します。第一に、「時と時期については正確に知ることはできないが、主は必ず来られる」ということ。第二に、「盗人のように来るその日も、光の子にとっては決して盗人のようには感じられない。なぜなら常に目を覚まして身を慎んで備えているから」です。さらに主は「この天国の福音がすべての国民に宣べ伝えられた後、終わりが来る」(マタイ24:14)と仰せられたので、教会は終末を語りつつも同時に世のただ中へ出て行って福音を宣べ伝える使命を全うしなければなりません。

結局、終末論は教会を現実逃避へではなく、現実を変革する方向へ導く「確固たる信仰の原動力」です。迫害や困難の中でもテサロニケの信徒たちは「主の日」を待ち望み、それゆえパウロは彼らにあふれるような愛情を込めて称賛し、同時に勧めを綴りました。今日、私たちの教会もこの称賛を受けることを願います。「兄弟たちよ。その時と時期については、あなたがたには書き送る必要がありません…」と言われるほど、すでに十分に深い御言葉の討論と黙想がなされていながら、それと同時に日々愛のうちに信徒を励まし合い建て上げる「光の共同体」となるべきなのです。そのように建てられた教会は、世の暗闇の中でともし火を掲げ、「主イエスよ、来てください」と祈りながら、正しい終末論的信仰によって世に仕えていくでしょう。そしてついに主が来られる日、私たちは主と共に真の安息と栄光に入るのです。これこそパウロがテサロニケ教会に伝えた祝福の約束であり、現代の私たちにもなお有効な御言葉なのです。

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キリストとの同行 ― 張ダビデ牧師

本稿では、マルコの福音書14章32~42節に記されたイエス様のゲツセマネの祈りの場面を中心に扱いつつ、張ダビデ牧師が強調してきた「キリストとの同行」という意味を深く黙想することを目的としています。聖書本文でイエス様が体験された苦しみや弟子たちの姿、そしてその孤独な祈りを通じて明らかになる信仰の核心的価値を思い起こしながら、現代の私たちに与えられるメッセージとともに、張ダビデ牧師が伝えようとしている主要な教えを探ってみようと思います。この展開は複数の小見出しや区分を設けず、一つの流れの中で続いていきます。そして主がゲツセマネの園で慟哭と涙をもって祈られた場面が、私たち一人ひとりの人生とどのように結びついているのか、またキリストと同行する弟子の道とは何かを省みるように導くことでしょう。

まず、マルコの福音書14章に記されたゲツセマネの祈りの場面を通して、イエス様が十字架の死を目前にしておられたことがわかります。イエス様は弟子たちとともに過越の食事を終えた後、オリーブ山のふもとにあるゲツセマネの園へ行かれ、そこで汗が血のしずくのようになるほど切実に祈られました。一般的に「オリーブ山」はオリーブの木の森が茂る場所で、その中にある「ゲツセマネ」とは「搾油所」、すなわちオリーブの実を搾ってオイルを得る所という意味を持つ場所です。張ダビデ牧師はこの点で、オリーブの油がもたらす二つの象徴、すなわち平和と永遠性、そしてメシアに油注ぎを行う伝統を合わせて黙想してみるべきだと強調してきました。ヘブライ語で「メシヤ」、ギリシア語で「クリストス」という表現はいずれも「油注がれた者」という意味を持つからです。したがってイエス様がキリスト、すなわち油注がれた王としてゲツセマネの園におられたにもかかわらず、そこで弟子たちが目撃したのは、その方を王として油注ぎして戴冠する場面ではなく、汗を血のしずくのように流しながら十字架の受難に備えられるイエス様の姿でした。即位されるべき王が極度に悲惨な祈りを捧げる光景は、聖書全体の中でも非常に強烈で逆説的な対照を成しています。

このように、イエス様のゲツセマネの祈りはマタイ・マルコ・ルカ福音書に共通して記録されている非常に重要な本文ですが、ヨハネ福音書には記されていないという特徴があります。張ダビデ牧師はこれについて、「ヨハネはすでに13章から、イエス様が自ら十字架を負う道を完全に受け入れておられることを照らし出しているので、ゲツセマネの祈りの場面を具体的に扱わなかったと考えられる」と解釈します。ヨハネの福音書13章でイエス様は弟子たちと最後の晩餐をなさる中、「今や人の子は栄光を受けた」と宣言され、弟子たちに終末論的な勧告と別れの説教を残されました。すなわち、十字架の受難が始まる前からすでにご自身はそれを「栄光」と呼んで決断なさったということです。張ダビデ牧師はこれを指して、「主はカルバリの丘の前からすでにキリストの道を選ばれた。ヨハネはイエス様の内面に少しの揺らぎもなく、御父のみこころを完全に受容する王なる威厳を描きたかったので、ゲツセマネの祈りを省略した可能性がある」と説明します。

しかし共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)が記録するゲツセマネの祈りは、イエス様の「人間的な苦悶」と「激しい慟哭」を私たちに見せてくれます。マルコの福音書14章33~34節を見ると、イエス様は「ひどく恐れもだえ、『わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどだ』」とおっしゃっています。ヘブライ人への手紙5章7節は「キリストは肉体をもっている間、自分を死から救い出すことのできる方に激しい叫びと涙をもって祈願と願いをささげた」と証言します。これはイエス様がまことに私たちと同じ人間であったことを生々しく示すと同時に、「アバ、父よ」と呼んで最後まで従われた尊い信仰を明らかにするものです。張ダビデ牧師は「イエス様は汗が血のしずくになるほど祈られた。そのお方の内面には十字架の道がどれほど苛烈な道であるのか、またその道を進むうえで人間的な震えと苦痛がないはずがないという事実が赤裸々に現れている」と強調します。しかしそれでもなおイエス様は自ら「しかし、わたしの思いどおりではなく、御父のみこころのままになさってください」と告白され、神の御心に完全に順服される姿を示されました。

この箇所で、私たちは張ダビデ牧師がたびたび強調してきたように、イエス様が事実上「十字架を負う道を避けることもできた」という点を見落としてはいけません。マタイの福音書26章やマルコの福音書14章に表れているイエス様の祈りを見ると、「この杯をわたしから取りのけてください」という表現があります。イエス様は神の御子であられながらも、人間として死を目前にした激しい恐怖と苦痛を吐露されたのです。そして同時に「しかし、わたしの望みどおりではなく、御父のみこころどおりにしてください」という祈りが続きます。張ダビデ牧師はこの場面を通して、「私たちは信仰生活をするうえで本当に神の御心に従うと決断してはいても、しばしば意志や感情が弱く、ほかの道に逃げ出したくなる時が多い。イエス様もその瞬間を経験なさったが、最終的に御父のみこころを握って最後まで歩まれることで、私たち全員に模範を示された」と解説します。これはキリストと共に歩むすべての者が必ず直面しなければならない挑戦であり、同時に私たちを慰め、希望を与える真理でもあります。

一方、ゲツセマネの園でイエス様が祈られる間、弟子たちは眠っていました。特にペテロは食事の席で「どんなことがあっても主を否定しません。主と一緒に死ぬとしても、見捨てたりしません」と大言壮語しましたが、イエス様は「鶏が鳴く前にあなたは三度わたしを知らないと言うことになるだろう」と予告されました。そしてゲツセマネに入り、祈るイエス様をそばで見届ける間も、ペテロをはじめとする弟子たちは1時間すら目を覚ましていることができず、眠り込んでしまいます。主は「あなたがたは1時間でも目を覚ましていられなかったのか」と言われつつ、誘惑に陥らないよう目を覚まして祈るように勧められました。張ダビデ牧師はこの場面について「主にとっては今が最も切迫した時間で、一世一代の霊的闘争が繰り広げられているのに、弟子たちは状況をまったく理解できず、まるで夜に散歩に出た人のように無頓着に眠りこけてしまう。これが私たちの姿でもある。しばしば神の業が行われる厳粛な瞬間に、私たちは何も悟らないまま横になってしまうことが多いのだ」と指摘します。

結局、イエス様が捕らえられると、弟子たちは慌てふためいて逃げ去ってしまいます。マルコの福音書14章51~52節には、亜麻布をまとってついてきた若者が捕まれそうになって、亜麻布を捨てて裸で逃げたという話が登場します。伝統的にこの「ある若者」をマルコ福音書の著者マルコだと解釈することが多いのです。張ダビデ牧師はこれを、「自分の家で最後の晩餐が行われ、イエス様と弟子たちがオリーブ山へ向かうと、夜中にいったん寝入っていたマルコが遅れてすべての状況を知り、慌ててイエス様について行ったのだろう。しかし結果的に彼も恐怖の前に亜麻布を捨てて逃げてしまう」と説明します。マルコはこのように恥ずかしい場面を自分の福音書に隠さず、ありのままに書き残すことによって、人間的な弱さがどれほど簡単に露呈するか、そしてその弱ささえも最終的にはイエス様の愛のうちで回復されうるという事実を証言するのです。張ダビデ牧師はこれを「正直な信仰告白」の手本と呼び、「マルコは自分が恥ずかしい存在であることを正直に告白し、そんな自分さえも変えてくださった主の恵みを誇るために、この場面をそのまま書いたのだ。私たちも自分の弱点を隠すのではなく、むしろさらけ出すことで神の力が臨む道を開いておくべきだ」と勧めます。

こうしてゲツセマネの園は、王として油注がれるのが当然であるはずのイエス様が、むしろ苦しみと悲しみの中で汗を血のしずくのように流される悲劇的な場所となってしまいました。これを通して「キリスト」という称号が完全に受け入れられるまで、すなわちイエスが真実に「油注がれた方」として公に認められ、告白されるまでには、十字架と復活の出来事が不可避であったことに気づかされます。弟子たちはイエス様を王として迎える準備がまったくできておらず、その方の行く道を共に歩む霊的・信仰的な成熟を備えていませんでした。その結果、イエス様はひとり孤独の道を行かねばならず、その絶頂こそがゲツセマネの汗のしずくとカルバリの丘の十字架だったのです。張ダビデ牧師はこの事実について、「弟子たちは最後の晩餐の席でもパンとぶどう酒を受け取り、賛美の歌を歌ったが、まもなく訪れる受難の現実をまったく想像していなかった。過越祭にささげられた小羊の血がキドロンの谷川へ流れ落ちて赤く染まる様を見ても、主の死が何を意味するかを鮮明に理解していなかった。主はひとりでその赤い流れを渡り、ゲツセマネへ入っていかれ、そこで汗が血のしずくになるまで祈られたのだ」と語ります。

この孤独で痛ましい瞬間、イエス様は神に向かって「アバ、父よ」と呼びかけられました。これはアラム語の「アバ」(アッバ)とギリシア語の「パテール」(父)が結合した表現で、イエス様と父なる神が結んでおられる親密かつ絶対的な信頼関係を象徴しています。イエス様がガリラヤで宣教されていたときも「天にいますあなたがたの父」と呼ばれましたが、この苦難の谷でいっそう切実で日常的な言い方として「パパ、父よ」と呼ばれながら叫ばれます。張ダビデ牧師は「私たちが信仰の道を歩むとき、最も大きな誘惑は『神は本当に私を愛してくださるだろうか?』という疑いが生じるときだ。イエス様でさえ、その激しい苦難の中で『アバ、父よ』を求められたことで、人間的な恐れの瞬間にこそ私たちも全面的に父なる神を信頼すべきだという模範を見せられた」と解説します。結局、死の力が最も強く覆いかぶさってくるときですら、「神の善良さ」への信仰を捨てず、「お父様には何でもおできになります」と告白できるべきなのです。

ここでもう一つ注目すべきは、イエス様の祈りの中に、いわゆる「手段としての祈り」ではなく、「従順を生み出す祈り」の本質が具現されているという点です。イエス様は「できればこの杯を過ぎ去らせてほしい」と願われましたが、最終的には「わたしの思いではなく、御心のとおりになさってください」と結論づけられました。この場面について張ダビデ牧師は、「私たちはしばしば祈りによって神の御心を“変えてみよう”とする試みをする。しかしイエス様が教えてくださった祈りとは、神の御心が“わたしを変えてくださるよう”に身を任せる態度を言う。ゲツセマネでイエス様が見せてくださった祈りの神髄はまさにこれだ。人間の思いや感情を超えて、御父に最後まで服従すること、それこそ真の祈りのゴールである」と強調します。だからこそイエス様のゲツセマネの祈りは、どの時代を生きるクリスチャンにとっても、いかなる状況にあっても主の道を従う力を与える根本的な手本となるのです。

しかし、人間的な弱さをもつ弟子たちは、この祈りを共にすることができませんでした。ペテロは眠ってしまい、ヤコブやヨハネも主の切迫感を少しも理解しませんでした。イエス様が「あなたがたは1時間でも目を覚ましていられなかったのか」と言われ、「誘惑に陥らないように目を覚まして祈りなさい。心は燃えていても、肉体が弱いのだ」と勧められたにもかかわらず、彼らは相変わらず無感覚な状態でした。張ダビデ牧師は、これを「教会にいる人間的な姿」とたとえつつ、「世間では大きな声を出して大胆に見える信者であっても、いざ危機が来ると真っ先に眠り込んだり、逃げてしまう場合が多い。イエス様の時代もそうであったように、現代の私たちの生活の中でも同様だ。だからこそ、いっそうゲツセマネの祈りを通じて私たちの本当の姿は何かを振り返るべきであり、ペテロのように軽率な自信を振りかざすよりも、イエス様のように御父の前にひざまずいてすべてをゆだねるべきだ」と勧めます。

その後、イエス様は三度目の祈りのあと「もう眠って休みなさい。もうそれでいい。時が来たのだ」と言われ、十字架にかけられる運命を喜んで受けとめられます。そして兵士たちがイエス様を捕らえにやって来ると、弟子たちは散り散りになってしまいます。ここで張ダビデ牧師は「どんなに強い決心と意志を見せても、結局は聖霊のうちに祈り、神の力に頼らなければ、簡単につまずいてしまう。ペテロは『主と共に死んでも否定しない』と豪語したが、実際には最も恥ずかしい姿で主を否定した。しかしイエス様はすでにペテロがつまずくことを知っておられながらも、彼を最後まで愛し、立ち返るように導かれた」と語ります。これは私たちがつまずき、恥ずかしい姿をさらしてしまっても、主は悔い改めに導く恵みを与えてくださるという希望のメッセージです。

結局、ゲツセマネの祈りを通してイエス様は、人間的には克服しがたい「死の杯」を御父のみこころに従うことによって受け入れられ、それを具体的に実現されたのがカルバリの丘の十字架です。張ダビデ牧師は「イエス様の十字架は、傍観者や見物人の立場にとどまるなら何の役にも立たない。私たちは主とともに、その十字架の道を歩まなければならない。それこそがキリストとの同行であり、主のうちに与えられた永遠のいのちへと入る通路になる」と力説します。すなわち、ゲツセマネで始まったイエス様の従順の道を、私たちも信仰によって共に歩むべきだというのです。その道が孤独で悲劇的に見えたとしても、復活の栄光がその終わりに約束されています。

一方、ヨハネ福音書がゲツセマネの祈りを省略したことについて、張ダビデ牧師は「ヨハネ福音書13章ですでにイエス様が十字架を栄光として宣言された事実を強調するために、イエス様の人間的な苦悶の部分を省略する編集上の意図があったのだろう」とあらためて指摘します。ヨハネ福音書は17章の別れの祈りを通じて、世と弟子たちのために執り成されるイエス様の「王なる」威厳をより際立たせます。一方、共観福音書はイエス様がどれほど人間的に苦しまれ、その苦しみを克服するためにどのような祈りを捧げられたのかに焦点を当てています。これら二つは決して矛盾するものではなく、神の子としてのイエス様と同時に完全な人間としてのイエス様を、より豊かに示す補完的な視点だと言えるでしょう。

張ダビデ牧師は「私たちも信仰の道を歩むうえで、しばしばゲツセマネのような困難に直面する。世の中でキドロンの谷川に流れるあの赤い血の跡のような悲惨な現実を見て、時に恐れ震えもするし、誰も自分の苦しみを理解してくれずに孤独になることもある。しかしイエス様がすでにその道を行かれ、『わたしの思いどおりではなく、御父のみこころのままに』という祈りのお手本を残してくださった。私たちがその祈りを自分のものとするとき、主との同行の道は確かに孤独を越えて復活の歓喜へとつながる」と教えています。このようにゲツセマネとカルバリの丘は、苦しみが極度に現れる場でありながら、同時に神の力と愛が最も強力に働く場所であるという真理が、私たちに提示されるのです。

さらに、ゲツセマネの出来事は弟子たちだけでなく、現代を生きる私たちすべてを振り返らせる「霊的な鏡」です。もし私たちがあの状況にいたなら、弟子たちと大差ない姿だっただろうし、もしかするとマルコのように、やっとのことで布切れ一枚をまとって走り寄ったあげく結局逃げ出してしまったかもしれません。張ダビデ牧師は、人間的な決意と誓いがいかに限界がはっきりしているかを指摘しつつ、「ペテロのように、どんな困難があっても主を捨てないと大きな声で言っても、神の前に目を覚まして祈らなければ、結局は些細な刺激にも打ち負かされてしまう。だからこそ信仰とは、ただ神への絶対的な依存と祈りを通してのみ強固になるのだ」と言います。これは外に現れる熱心さよりも、内面のへりくだりと信頼のほうがはるかに重要であることを示しています。

マルコの福音書14章の後半に進むと、イエス様が実際に捕らえられ、大祭司たちの前で尋問を受ける場面へと続き、ペテロはまさしくイエス様の予告通り、主を三度否認してしまいます。鶏が鳴くや否やペテロはイエス様の言葉を思い出して慟哭します。張ダビデ牧師はここで、人間的な惨めさと涙を挙げながら、「私たちは失敗し、つまずくかもしれない。しかしそれで終わりではない。イエス様は復活された後にもペテロを探し、彼に『わたしの羊を飼いなさい』と使命を回復させてくださった。これはゲツセマネの祈りで十字架を選ばれたイエス様の愛がどれほど大きいのか、罪人である私たちをどれほど最後まで支えてくださるかを再確認させる」と説教します。

このような事実は、最終的に張ダビデ牧師が強調する「キリストとの同行」が決してやさしい道ではなく、ときに孤独でつらく、涙に濡れた道であることを示唆します。しかし同時に、その道を主が先に行かれ、弟子たちのあらゆる失敗さえも包み込まれたがゆえに、私たちが失敗したとしても再び回復される道が開かれているという希望があります。イエス様のゲツセマネの祈りは、まさにこの「復活の希望へと導く苦難の自画像」と言えるでしょう。クリスチャンはこの地上でゲツセマネのような暗闇や悲しみ、ひとりで格闘しなければならない試練に直面するかもしれませんが、祈りによって御父の御心に服従し続けるならば、私たちも復活の新しい朝を迎えることができるのです。

結局、張ダビデ牧師はこのようなゲツセマネの祈りの場面を通じて、私たちが忘れてはならない核心を次のようにまとめています。第一に、イエス様も人間的な恐れと苦痛を経験され、私たちもまたそれらの試練を避けられない存在であることを認識する必要があります。第二に、その恐れと苦痛の中でもイエス様が「アバ、父よ」と叫ばれたように、私たちは神の愛と善良さを絶対的に信頼しなければなりません。第三に、「わたしの望みどおりではなく、御父のみこころどおりに」という服従は祈りを通してのみ可能であるため、「目を覚ましていなさい」という主の言葉を必ず守らなければなりません。第四に、弟子たちのように眠りに落ちたり逃げ出してしまうしかない私たちの弱さも率直に認めるべきであり、その弱さのただ中に臨まれる主の恵みによってもう一度立ち上がれることを信じなければなりません。最後に、イエス様のゲツセマネの祈りが最終的に十字架と復活を通して完成されたという点を常に心に刻むべきです。十字架は人間的な最悪の絶望であると同時に、復活という究極の希望へとつながる通路であり、その道で私たちの信仰は成熟していくのです。

このようにゲツセマネとカルバリは、単に二千年前のパレスチナの地で起きた歴史的事件ではなく、今を生きるクリスチャンの日常の中で繰り返される霊的現実を映し出します。張ダビデ牧師はこの事実に注目し、「私たちはあまりにも簡単に弟子たちを非難するが、実際には『もし自分があの場にいたら、はたしてどんな姿を見せただろうか?』と問いかけるべきだ。その問いを通じて、自分自身もイエス様を見捨てて逃げ出す可能性を持つ存在であることに気づくとき、はるかに深い謙遜と悔い改めの心で主のみもとに進むようになる」と語ります。結局、信仰とは「自分が強いから耐えられる」のではなく、「主が最後まで支えてくださり、私たちが弱さを認めて恵みを求めるからこそ耐えられる」という結論に至るのです。

さらに、今日の教会と信徒たちは様々な危機や誘惑に直面するとき、選び得る道が二つしかないという事実を自覚するべきです。一つはペテロやほかの弟子たちのように意志だけで踏ん張ろうとして、結局は逃げ出したり崩れ去ってしまう道、もう一つはイエス様のように父の前にすべてを吐露し、「御父のみこころのとおりになりますように」と告白していく道です。そして後者こそが、張ダビデ牧師が絶えず説いてきた「キリストとの同行」の具体的な姿なのです。主がゲツセマネで先にその道を歩まれ、復活されることで、その道が決して絶望で終わらないことを示されました。私たちがその道を従うとき、人間的な弱さと涙が伴ったとしても、最後には復活の力が広がり、神の国の栄光を味わうことができるという真理です。

これら一連の過程を通して、私たちは改めて「祈り」の役割を再発見することになります。なぜイエス様は最もつらい瞬間に弟子たちを連れて祈りの場に行かれ、彼らと共に目を覚まして祈るように望まれたのでしょうか。張ダビデ牧師は「祈りは神との関係を深め、神の御心に対する私たちの心の降伏を引き出す。祈りを放棄することは、すなわち神の主権を認めず、自分の力で問題を解決しようとする高慢の表現になりうる。だからこそイエス様は決して祈りを放棄されず、弟子たちにも目を覚まして祈ることを願われたのだ」と説明します。しかし弟子たちは理解しませんでした。その結果、イエス様が捕らえられ、十字架にかけられている間、彼らは意味のある働きを何もできずに散り散りになってしまいました。ところがイエス様は復活後、再び弟子たちを探し出して、彼らに「祈りの場」と「聖霊の働き」を通じて福音伝播の使命を託されます。最終的に彼らは使徒言行録で祈りと聖霊の力によって初代教会のリバイバルを起こす主役となります。

これは私たちにもまったく同じように当てはまります。いかに情熱的で決断力があるように見えても、祈りを失えばペテロのように些細な誘惑の前で崩れてしまいかねません。しかしゲツセマネの主のように涙と慟哭をもって神に近づくなら、私たちを倒そうとするどんな試練も最終的には克服できるのです。張ダビデ牧師はこの点で「教会がこの地で立場を失い、個人の信仰が深い内面的な力を失ってしまう理由のひとつは、真の意味でのゲツセマネの祈りを喪失したからではないか。ゲツセマネの祈りには切実さと切迫感、そして神の御心に対する絶対的な服従が込められているが、それを失えば私たちも眠りに落ち、遠くへ逃げ出すしかないのだ」と語ります。

したがって私たちは、四旬節や特別な早天祈祷会など、特定の季節だけイエス様の苦難を思い起こして祈るのではなく、日常の場でいつもゲツセマネを覚えていなければなりません。十字架の前で避けられない決断をなさったイエス様の姿が、私たちの生活の中で生き生きと働くように、常に目を覚まして祈る霊的態度を持つべきなのです。張ダビデ牧師はこれを「聖なる繰り返し」と呼びます。すなわち、歴史の中でただ一度起こったゲツセマネの物語が、今日も私たちの内で繰り返されるべきだという意味です。そうすることで、私たちはたとえマルコのように恥ずかしい過去を抱えていたとしても、最終的には十字架と復活を証しする福音書の著者として立てられる恵みを経験できるでしょう。そしてペテロのように三度も主を否定したとしても、再び「わたしの羊を飼いなさい」という使命を受け取り、やがて教会の柱として用いられる歴史が起こるのです。

このように、マルコの福音書に記録されたゲツセマネの祈りの場面は、「自分の願いではなく神の御心に完全に従う信仰」とは何かを示す最も強烈な例であると同時に、弟子たちの弱さとイエス様の慈しみが鮮明に対比される場でもあります。張ダビデ牧師が語る「キリストとの同行」は、結局このゲツセマネの霊性に由来します。どんなに恐ろしい死が迫ろうとも、「アバ、父よ」への絶対的な信頼と愛を持ち、「わたしの思いではなく、御心のとおりになさってください」と言える人は、孤独で悲しみに満ちた状況のただ中でも決して崩れ落ちません。なぜならイエス様がすでにその道を先立って歩まれ、その道が永遠の勝利に続いていたことを、私たちは復活という出来事を通して確かめているからです。キリストを信じる者なら誰でも、この信仰を行動に移すことが課題なのです。

このようなゲツセマネの出来事を要約しながら、張ダビデ牧師は私たち一人ひとりに「自分が避けたいと思っている十字架は何か」と問うよう勧めます。「あるいは自分が眠り込んでしまっている苦難は何であり、本来なら神の前で慟哭しながらすがるべき事柄は何なのか。また今の自分はペテロのように『主のためなら命も捧げます』と豪語しながら、実は眠ってしまっていたり、無為に時を過ごしてはいないか」という問いが私たちの心に浮かんでくるかもしれません。その問いに真摯に向き合うとき、私たちはイエス様のゲツセマネの祈りと、さらに深く出会うことができます。そしてその出会いを通して、もはや人間的な力や意志ではなく、父なる神のみこころと力に全面的に依拠することを学ぶようになるのです。

張ダビデ牧師は常々「信仰は私の決断の上に立っているのではなく、神が独り子を十字架に差し出された愛と、イエス様がその道を最後まで歩まれた従順の上に立っている」と語ります。私たちはその従順に根を下ろして、私たち自身も人生の大小さまざまなゲツセマネに出会うときが来るたびに「アバ、父よ」と呼び求め、「それでもなおあなたを信頼します」と告白できなければなりません。この告白こそが「キリストとの同行」という霊的現実を、私たちの日常に具体化するカギです。そしてそれは華やかな信仰行為にあるのではなく、目に見えない夜半に流す涙と祈りによって成し遂げられます。その祈りの中で神は私たちの心を新たにし、イエス様を通してすでに宣言してくださった救いといのちの力を、私たちの現実の中で実際に示してくださるのです。

このように、ゲツセマネの園に凝縮されているイエス様の祈りと弟子たちの弱さ、そしてついに十字架の道へと固く立ち上がられるイエス様の従順は、「わたしについて来たいと思うなら、自分を捨てて自分の十字架を負い、わたしに従いなさい」という主の言葉を改めて思い起こさせます。張ダビデ牧師は「主はひとりでその道を行かれた。弟子たちは眠っていたし、ある者は逃げ、別の者は裏切った。だから十字架の道はそもそも易しいものではなかった。にもかかわらずイエス様は一歩も引き下がることなくその道を行かれ、その道の終着点は復活という勝利だったのだ」と言います。このメッセージは昔も今も弟子として招かれたすべての人に変わらず有効であり、それぞれの私たちに「ともに行こう」と呼びかけるイエス様の声を聞くようにとの招きでもあります。

要するに、張ダビデ牧師がゲツセマネの祈りを通して強調する「キリストとの同行」は、次のような意味を持ちます。第一に、私たちの弱さを正直に認めながらも、その弱さを抱えたまま神のみもとに行く必要があるということ。第二に、神の御心が私の意志と異なるときであっても、私の願いより御父の御心のほうがもっと善で正しいと信じるべきだということ。第三に、目を覚まして祈らなければどれほど強い決意や誓いを立てようとも簡単に崩れ去ることを忘れてはならないということ。第四に、たとえ失敗したとしても、イエス様は復活後も弟子を見捨てられず、ペテロを回復させられたように、私たちももう一度起き上がれるようにしてくださる方であることを忘れないこと。第五に、十字架は死を意味するが同時に復活の栄光を含む逆説的な象徴であり、今目の前に見える苦難にのみ囚われず、最後まで信仰をもって走り続けるときにその栄光を味わえると確信しなければならないということです。

結局、ゲツセマネの祈りを黙想するということは、「私の人生で今直面している混乱や試練はどういう意味を持つのか。その中に隠されている神の御心は何なのか」という問いを絶えず投げかけてくることでもあります。主はその終わりに、はっきりとした答えをくださいます。もし私にとって重荷で逃げたいと思うような十字架があるなら、その十字架の向こうには神が与えてくださるさらに大きな栄光と復活の勝利が待っている、と言ってくださるのです。これこそが「キリストとの同行」の頂点であり、張ダビデ牧師が繰り返し語ってきた福音の実体だと言えるでしょう。だからこそ私たちに必要なのは、ゲツセマネで慟哭されたイエス様に対して、ようやく目を覚まして立ち上がり、ともに歩き出す決断です。もはや眠ることなく、また逃げることもなく、主とともに行く真の同行者となるべきなのです。

以上すべてを一つにまとめると、ゲツセマネの祈りはイエス様が持っておられた人間的な弱さと神的な従順の逆説を余すところなく示すと同時に、私たちみなが「神の御心に自分を完全に委ねる祈り」へと進むべきだということを力強く宣言しています。張ダビデ牧師は、このゲツセマネの霊性の重要性を繰り返し説いてきましたが、その核心は「私たちが真に主と同行しようとするなら、私たちもゲツセマネの慟哭を通らねばならず、十字架を担わなければならず、最後にはその道が栄光へと至る道であると信じなければならない」という点にあります。私たちが日ごとに目を覚まして祈り、ゲツセマネを自分の人生の現場にもう一度実現するとき、キリストとともに歩むことこそが、この世のどんなものにも比べようのない祝福された道であることを体験するようになるでしょう。そしてその過程で、たとえ弱さや欠けた姿が露呈したとしても、イエス様がすでに弟子たちの弱さを知りながら最後まで愛されたように、今日の私たちの失敗と涙も、最終的には主の復活の力のうちで回復され、新しくされうるのです。

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